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脚下照顧・・・自分自身を省みる
少林寺拳法の修行の第一歩は、自分自身を見つめることから始まります。例えば、道場の扉を開けて靴を脱ぐという何気ない日常の動きの一つ一つが、実は大切な修行なのです。
「脱いだ靴を揃えること」「他人の靴にも気を配ること」、単純な行為の中に修行に対する心構えが求められるのです。脚下照顧とは、自己を見つめ省み、自己の中に真理を求めるとの意味があります。
合掌礼・・・互いに人としての尊厳を認める
人と人の交わりは、礼に始まり、礼に終わらなければなりません。正しくきちんと、心からあいさつをすれば、自然に姿勢も正しくなり、心も正しくなるものです。少林寺拳法は「行」として修練するものですから、敬愛と互譲の心を込めてあいさつしましょう。そのため少林寺拳法の礼式はすべて合掌礼になっています。また、合掌礼は少林寺拳法の構えでもあります。
作務・・・日常生活に必要な作業を軽視しない
少林寺拳法では、修練の前後に拳士全員で必ず道場の掃除をします。この掃除や、食事の支度などさまざまな作業を私たちは「作務」と呼び大切な修行の一つとしています。修練の前の掃除は、気持ちよく修練できる場をつくるという意味を持ち、修練後の掃除は、感謝の意味を込めて道場をきれいにして帰宅するという意味を持っています。そのため、この掃除は先輩も後輩も関係なく全員で行います。少林寺拳法の道場では、この時間は誰もが初心に返って、自分の心を磨く気持ちで取り組みます。
鎮魂行・・・少林寺拳法の修行の一つとして必ず全員で鎮魂行を行います
少林寺拳法は、健康な身体と健全な精神とのバランスのとれた自己を確立するための、心身一如の修行法です。拳技の練磨(易筋行)と精神を修めるための鎮魂行は少林寺拳法では切り離すことのできない修行です。少林寺拳法の修練の前には、全員で「鎮魂行」を行います。鎮魂行の目的を理解して、正しく行います。
修練の前に「経典」もしくは「道訓」を全員で唱えます。これは、言葉の一つ一つの意味を心に刻み確認するためです。誰のためでもなく、自分自身に唱え聞かせるためのものです。
また、全員で唱えることにより、そこにいる全員の心を一つにします。
少林寺拳法では背筋を伸ばした正しい姿勢で道訓を唱えた後、静かに目を閉じ、息を整えます。これを「調息」といいます。「調息」により体を整え、精神を修行する状態にします。「今から修行する」という意識で体を動かすのと、目的意識なく体を動かすのとでは、その効果は全く違います。
基本練習・・・基本動作を身につける
基本(基本諸法)には、突きや蹴り、受けのほかに構え、立ち方、足捌き、体捌きがあります。基本諸法は少林寺拳法の技法の基礎になります。表面的な形の美しさや格好の良さだけにとらわれてはいけません。体を動かす回数の多さだけにこだわらず、意識的な動作を無意識な動作にまですることが大切です。単独の基本修練は突き、蹴り、受けなど、人間のあたりまえの動きを活用して、少林寺拳法としての自分の動きをつくり上げていくことを目的としています。
法形演練・・・法形の真義を体得する
一般に武道では一定の動作を「型」や「形」と呼んでいます。「型」は土で作った鋳型の型を意味し、「形」は古来、兵法の諸式作法に用いられたとされています。
少林寺拳法は拳禅一如、自他共楽の境地にいたる修行の道(手段)として重要な意味を持って行じられるもので、その形を「法形」と呼んでいます。(このことを「法形の真義(真の意義)」という)。法形演練は、単独の基本修練で身につけた基本諸法を土台に、相手の動きに応じて動くことができるようになるための修練です。単独修練では身につけることのできない間合いのとり方、虚実のとり方、攻防の機会をつかむ、といった要素を身につけていかねばなりません。
相手の攻撃への対処方法を学ぶ中で、その原理を学び、一人一人が技の感覚を身につけて処理できるようにしなければなりません。形のみを覚えるのではなく、技術の原理、原則に則った心身の最善活用法をつかんでください。法形の形は、技が成り立つための条件がそろった時の結果です。そのため正しい攻撃が大前提です。
演武修練・・・さまざまに変化する相手の攻撃に対応する
さまざまに変化する相手の攻撃に対して、適切な技で対応しなければなりません。技を無理なく連携させる修練として演武修練は大変有効です。
各自が修得した個々の法形の正確さはもちろん、技と技の連絡や変化に重点を置き、質実剛健で、創意工夫された演武を行うことに留意します。
乱捕り・・・法形の運用法を学ぶ
乱捕りは、法形の運用法を学ぶための修練方法です。基本技術や法形の修練だけではなく、相手との間合いや技の連絡変化なども会得するための応用練習としての修練が必要です。修練してきた基本技術、法形修練の仕上がり具合が試される時でもあります。
しかし、乱捕りのやり方によっては、いつの間にか相手を倒すことや相手に勝つことばかりにこだわるようになって己に克つための修行ではなくなってしまうので厳に戒めなくてはなりません。あくまで自己確立、自他共楽の人づくりの道としての在り方を守り、乱捕りを修練するのです。防具着用の有無に関わらず乱捕り修練は、安全対策に細心の注意を払う必要があります。